例えば心因なんかに原因がある症状の場合、
症状の改善に置いて、大前提でとっても大切なことがある。
それは「絶対に良くなりたい!」と、いう強い意志である。
と、少なくともわたしは思っている。
えー!みんな健康で快適なカラダを目指してるに
決まってんじゃん。
と、心で唸ったアナタ。
確かにその通り。
でも人は時として、痛みや不調を理由にしながら
現実と対峙するのを避けちゃう場合もあったりする。
痛みや不調が続いていた方が都合がいいな・・・
自分でも気が付かないような心の底で
そう、ひそやかに思っていることもあったりする。
日本むかし話で「貧乏神と福の神」って話があった。
グータラな男の家にはビンボーを快適とする貧乏神が
さも居心地よく屋根裏で寝っ転がっている。
でも、そこに働き者の嫁が来て、
貧乏神が居づらくなっちゃう・・ってお話。
で、私は思うのだ。痛みや不調も、
ぴっかぴかに健全な心を宿にしたら居心地が悪かろうと。
だとしたら、まずはお宿の気持ちの方向が
改善においてひっじょ~うに大事ではないか。
と、考えるのだ。
「本当に楽しい時、大抵の痛みは忘れているものである」
そんな格言があるかは知らないけれど、
そう思う事柄は意外に多い気がするオカメである。
居づらくなったビンボー神さん
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